再々開その3

 ゆうパックの内勤バイトをしていた頃。集配員の中に虚言を吐く人がいた。高倉健とタメ張れる人がこんなところで2トン車転がしてる訳がない。そう思いつつ、嘘でもそんな話を聞けるのは面白いなと思った。

 そのオジサンは、言うなれば孤高の人…つまり周りから煙たがれている人だった。皆がやっているこまごました小口集配はほとんどせず、2トン車でドカッと運ぶ仕事を、ほぼ自分の領分としていた。後処理を手こずっている気弱な内勤にはときどき怒鳴った。ナヨナヨした自分もやはり怒鳴られ…と思いきや、どういう訳か結構気に入られていた。

 ときには上長の許可も得ずに、集配に連れ出されることもあった。後付けの理由が無い訳にもいかないので、ほんの少し荷上げを手伝わされた。物量が少ないときは、橋の側道に車を止めてサボった。色んな話を聞いた。韓国人の奥さんのこと、「娘」と呼んでいる犬のこと。トラックの前にずっと停車しているミニバンを指差して、「あれ中で絶対ヤってるぜ」と、笑わせられたりもした。ダイアーストレイツ、ジャコパストリアス、僕がハマりこむことは無かったけれど、今も街やテレビからときどき聞こえてきては、あ、と思う。オジサンは僕に色んな愉快を分けてくれたのだった。

 スピッツの「青い車」が好きだと言ったことがきっかけで、バンドをしてみようよという話が出た。初めてのヤフオク、3万でベースを競り落として、家でまずひとり練習をした。ギターもやってみるといいと、電装部をゴッソリ抜かれたギターを渡された。なんでちゃんとしたの貸してくれないんだろうと思いつつも、嬉しがって受け取った。

 しかし結局、合わせるタイミングを掴めないうちに、僕は「青い車」を覚えたきりベースを触るのをやめてしまった。仮にも写真をやっているはずが、なんだか写真そっちのけでうつつを抜かしているように思われて、自分が自分にバツが悪くなってしまったのだった(その割には、今もたいして写真をできていないし、しょうもない文章を書いている)。オジサンに進捗を聞かれても笑ってごまかすようになった。笑いながら、ひどく申し訳なく思った。

 やがてオジサンは、「もらい事故」にて「負傷」とのことで、局に来なくなった。他の集配員は皆苦笑いだった。その後オジサンはときどき総務部に連絡をよこして、雇用契約や保険のあれやこれや、担当のお姉さんを困らせたそうである。お姉さんを気の毒に思いながら、正直少し笑えてくる心持ちもした。

 しばらくして僕も局を辞めた。辞めたと言っても、局は家の目と鼻の先なので、集配員とはしょっちゅう道ですれ違う。皆仲良くしていた間柄、郵便車に会釈すれば、合図を返してくれる。声をかけてくれることだってある。幸せに思うし、戻りたいぁとさえ思う。

 でも戻ってみてもオジサンはいない。ましてや道ですれ違うなんてもっとない。まさかオジサンを慕う心なんてある訳なし、寂しいというのも違うけれど、ここにひとり足りないなと、局の2トン車をフェンス越しに見ながら思う。うちのダイニングには今も、ホコリをかぶったベースと偽りのエレキギターが、捨てられずにほっぽってある。たった一曲覚えたベースラインを、ときどきフンフン口ずさむ。