再々々開その1

 職場と、職場の最寄駅との間に、幅数十メートルの川がある。仕事の行き帰りで毎度、橋から水面を眺めるのだが、いつも風にさざめくだけで流れがない。水門のおかげということらしい。岸辺も整地されつつ草木が残されており、人為的ながら都会のオアシスといった具合である。橋上の車の騒がしさと真反対のこの景色は、ついついうっ積してしまう気持ちを洗うには良いものであった。

 シンとした水面に何か変化があると、その描写がいちいち心に刻まれる。不意を突くように魚が跳ねてバシャンと音がする、水鳥が足漕ぎして小波が両岸に届く…特に印象深いのは、舟が現れたときだった。

 朝もやの日、小さな動力船が、細長い舟を曳いてやってきた。それぞれにオジサンがひとりずついて、進む先を見るともなく見ている。短い川で、且つ前述の水門があるから行き着く先は知れたものなのだが、歩くと同じスピードゆえか、あるいは時間の流れ方が違うのか、このままどこまでもいってしまいそうな、悠々とした舵取りだった。エンジンがついていないかのような、音の無い静かな滑走であった。

 別の日は薄暮の頃、今度はボートが1チームやってきた。チームは女子5人。手前4人が後ろ向きでボートを漕いで、一番奥の1人が漕ぎ手を向いて指揮をとっている。記憶にかすかなゼッケンの紺…通っていた高校のボート部らしかった。強いという噂を聞いていたが、彼女らの挙動はどうものんびりとしている。指揮が何を言ったのか、皆パタと漕ぐのをやめた。舟は惰性でゆっくり流れ、そしてそのまま、橋の下へ見えなくなってしまった。声は何も聞こえなかった。

 目下十何メートルかの距離でも、地に足つく橋上と、形のない水上とでは、まるでパラレルワールドであるかのように感じた。街を行き交う人々と同じはずだけど、違う種族の人間のような気がした。とらえどころのないシーン、とらえどころのない水。つむぎようのないような諸々を意識に留めていくのは、大事なことではないかと思う。実はつむぎようがあることをしっかり理解できるまで、諸々のことをこれからも、足を止めつつ見ていきたい。