再開その4

 大型電気量販店にある時計売り場が好きである。特に掛け時計や置き時計のコーナーは格別だ。突き詰めたシンプルさや、あるいは生活を邪魔しない程度の装飾を施した時計たちが、買われた後は徐々に失っていくであろう自己主張をこの場では大いに発揮して、僕の視界いっぱいにそれぞれ訴えかけてくる。この強烈なアピール感は、個人商店や専門店の最低限丁重に扱われた時計たちには感じられず、量販店の雑多で且つ供給過多とも言える投げやりな展示の中でのみ見られる独特なものだった。そのひとつひとつの必死さのようなもの、そしてそれらが集結して現れたその場全体のパワーに、僕はいつも立ちすくむ程に圧倒されるのである。

 ことさらに、この独特なパワーには周期的なハイライトが必ず訪れる。自分の立ち寄ったタイミングが合えば、僕はその時が行き過ぎるのをわざわざ見届けるくらいである。「その時」の1分程前、端々で先走った時計たちがか細い音楽を奏で始める。それらが途切れてしまわぬうちに、時を迎えた時計がひとつ、またひとつと増えてゆき、音を被せていく。初めは聞き分けができていた音色は段々と秩序や個別性を失い、ハイライトの前後それぞれ10秒程、大箱いっぱいの荷物をひっくり返したようにドッと押し寄せてくる。見渡せばあちこちで、カッコウが飛び出す、兵隊がラッパを吹く、文字盤は幾つかに割れたりグルグル回ったり、LEDはまばゆく光り、もはやこれは時計売り場という範疇を超えている、そう思えるほどである。しかし狂宴は長くは続かず少しずつ脱落してゆき、1分程過ぎれば、辞め時を誤ったいくつかの時計が場違いに騒ぎ立てるに留まる。それもいい加減にと騒ぎを止めれば、場は何事もなかったかのように針の音だけがするばかり、すまし顔の時計たちが並ぶばかりとなる…

 しかしそのすまし顔には、やはり必死さがにじみ出ているのだ。その妙な意思のある感じに僕はなんだか嬉しくなって、満足して帰るのである。